映画「崖の上のポニョ」
六本木ヒルズにて。購入したパンフの冒頭に「監督企画意図」と題するマニフェストがある。「〜略〜アンデルセンの『人魚姫』を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。〜略〜少ない登場人物。いきもののような海。〜略〜海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。〜略〜」などとある。かつて「アルプスの少女ハイジ」において高畑勲監督がヨハンナ・スピリの原作から「慎重に宗教観を切り離した」ように、また、少ない登場人物へのこだわりや、海の表現を共にアニメートのテーマにしてきた小田部羊一氏、そのご夫人であり昨年5月に逝去されたアニメーター奥山玲子さんへの想いなど、様々なことどもが、今一度、昔の手技(てわざ)に回帰し、背景と作画を一体化させ、緊張感のある少ない線で、本当のアメニーションをつくりあげてやろうと宮崎駿に決心させたのだろうと想像する。その渾身の一作がポニョだ。近藤勝也(作画監督)の作詞、久石譲の作曲になる「崖の上のポニョ」という歌も、そのコンセプトと過不足なく一致している。この映画で重要なのはアニメーションそのものであり、あまりストーリー進行や各キャラの落としどころや顛末にこだわってはいけない。
Tが一番好きだったのはエンディング。丸くワイプアプトして、かわいいスタッフテロップが曲とともに流れ、順番とかはゴチャ混ぜで、「宮崎駿」の文字すらどこにあるのかわからずにスパっと終わる。なんという歯切れの良さ。Tは、3.5点。Nは、感情移入できるキャラクターがなく、物語の本質が深く心に響かないこと、アニメの技はすごいのだろうが画調に魅力を感じないこと、日経新聞の映画評で満点をとっているような映画は、個人的に認めていないという観点から2.5点。合計6点。
しかし、Tにとっては宮崎駿という人がちょっと好きになってしまいそうな映画だ(手の復権とノスタルジーの狭間で、手を動かすことを辞めない巨匠に好感を持たない人がいるだろうか?タバコを吸わなければ完璧だ)。文化庁に日本アニメ界の偉業とも位置づけられそうな本作が興収100億円を超えるのだとしたら、宮崎駿にしかできない、万々歳の満点であり、これでいいのだ!とバカボンパパのように言わざるを得ない傑作。
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