2008年7月
2008年7月27日 (日)
Schynige Platte(シーニゲ・プラッテ)
インターラーケンから車で10分ほどのところにあるヴィルダースヴィルという街からシーニゲ・プラッテ鉄道に乗って、シーニゲ・プラッテ展望台(1967m)へ。窓全開のとても可愛らしい車両は、高度が上がるにつれて、どんどん寒くなり、座席に置いてある毛布の意味がわかる。山頂駅には植物園があり初めてエーデルワイスを見た。時間があったらゆっくり歩いてみたいハイキングコースもあり、インターラーケン近郊は、ユングフラウまで行かなくても魅力的な場所がたくさんあることがわかった。
人なつこい山羊や牛達。そして頂上からは、アイガー(Eiger,3957m)、メンヒ(Monch,4099m)、ユングフラウ(Jungfrau,4158m)の三山が横に連なって見える。
2008年7月26日 (土)
Jungfrauyoch(ユングフラウヨッホ)
インターラーケン・オスト駅からユングフラウ鉄道(登山鉄道)に乗って、ユングフラウヨッホ駅を目指す。これまで晴天に恵まれ続けてきた我々にとっては、久しぶりの曇天。しかし、登山鉄道はクライネ・シャイデック駅以降は、ほとんどがトンネルの中なので外の景色は関係ない。アイガーヴァント駅にある窓は、アイガー北壁に直接取り付けられており、壮大なアイガー北壁と一体化したような不思議な感覚になる。よくぞこんなに穴を掘ったもんだと感心する。そして、いよいよユングフラウヨッホ駅に到着。この駅は、欧州最高地点にある駅で標高は3454m。ヨッホとは肩とか稜(りょう)と言った意味で、ここからユングフラウへと山陵が続いている。韓国、中国、インド、アラブ系の観光客がとても多く、売店では韓国のカップラーメン「辛ラーメン」が飛ぶように売れていた。山を目指す登山客、スキーを楽しむ人、サンダル履きで来て凍えそうな人、雑多な人種が入り乱れている。今日はどうやらユングフラウ山頂は見えないようだ。
2008年7月25日 (金)
Jungfrau Brasserie(ユングフラウ・ブラッセリー)
夕暮れ時に、オープンエアで、生楽器の演奏を楽しみつつ食事をとる。とても優雅な瞬間。演奏者は日本人客がいるとみると「荒城の月」とかを演奏してくれる。これを今や「風情がある」と捉えられる年頃になった。何かリクエストはありますか?と聞かれNは「エディット・ピアフを・・・」というと「La Vie en rose(バラ色の人生)」が演奏された。Nはうっとりしつつ「愛の賛歌じゃなくて、ラヴィアンローズってとこが渋いね」と喜んだ。珍しくワインは、Chaeteau D'Auvernier(シャトー・ドヴィニエ)というスイスはニューシャテル地域のロゼワインを飲む。とても辛口でさっぱりとしていておいしい。サービスはゆきとどいており、料理はまずまずで、ロケーションは最高だった。
スイス鉄道の旅2+フルカ峠越え
ツーリストに大人気の氷河特急(Glacier Express)は、スイスを代表する山岳リゾートを結ぶ伝統の横断ルートだ。車窓の美しい風景を眺めながら、日本語を含む6カ国語の説明が聞けるヘッドフォンを完備したテーブル付きの広い座席で、ワインと一緒に食事を楽しめる。全行程は8時間もかかるので、私たちはツェルマットからアンデルマットまで乗車した。(2時間53分)
ところで、氷河特急の名前は、フルカ峠付近でローヌ「氷河」が見えたことに由来する。 しかし、1982年に新フルカトンネルが完成すると、ローヌ氷河を車窓から目にすることができなくなったという。
それならばということで、アンデルマットから車でフルカ峠を越え、ローヌ氷河を見学しようという計画にした。アンデルマットで出迎えてくれたドライバーは、急カーブが連続する山道を登って行く。晴天のフルカ峠からは遠く山々が見渡せた。そして、地球温暖化で年々後退しているというローヌ氷河も見学。グリムゼル湖を経て、次の目的地インターラーケンに向かった。
2008年7月24日 (木)
Matterhorn Glacier Paradise
今日は、また別の空中ケーブルカーを3つ乗り継いで「マッターホルン・グレイシャー・パラダイス(Matterhorn Glacier Paradise)」に向かう。人間は根源的に高いところに登るのが好きなのか。この展望台は、シャモニーで登った「Aiguille du MIdi(エギュイ・デュ・ミディ)」展望台(3842m)よりも高いところにある(3883m)欧州最高地点の展望台である。エギュイ・デュ・ミディではとても寒かったので、しっかりと防寒装備で臨んだが、気温は7度ほどありちょっと拍子抜け。ここから見るマッターホルンは「えっ!これがそうなの?」と疑いたくなるほど形が違う(正三角形のよう)。この標高で夏スキーを楽しむ人々と、積雪の登山(ブライトホルン)に挑む人々が、次々と出発してゆく。
2008年7月23日 (水)
2008年7月22日 (火)
THE OMNIA
ツェルマットにある2006年オープンのブティックホテル。
ニューヨークのデザイナーが設計したらしいが、山小屋風のレトロなホテルが多い中、ちょっと異質だ。駅前でホテルの迎えの電気自動車に乗り込むと、なんだかあやしい露地に進んで行く。まるで秘密基地のようなトンネルの中に入ると、そこはホテルロビーに通じるエレベーターへと続いていた。
ロビーは一転して木のぬくもりを感じさせる落ち着いた雰囲気。30室のうち暖炉付きスィートが12室。滞在客の過ごしやすさを計算した美しくてシンプルな客室に、TもNも大満足。
窓からは朝に夕にマッターホルンがりりしい。スワロフスキーの望遠鏡も部屋に常備。ホテルスタッフもフレンドリーで、とても気持ちのいいホテルだった。
おすすめ!
Zermatt(ツェルマット)
ツェルマットは、マッターホルン山麓にあるスイス特有の山岳リゾートとも言うべき小さな街で、ガソリン車の乗入れが禁止されており交通手段は電気自動車。この街から四方八方に登山鉄道やケーブルカーが延びており、様々な4000m級の山々にアクセスすることができる。我々が今回のスイス旅行で、最も気に入った街でもある。観光立国スイスの象徴的な街。我々は観光地が好きな訳ではないし、大勢の観光客に揉まれながら旅をするのも好きではないが、何故かこのツェルマットには愛着を感じてしまうところがある。山が好き、という人々が集まっている場所、という感じが嬉しいのかもしれない。スキーシーズンなると街の印象も変わるのだろう。マッターホルンの雄姿を見るのに最適な街。
スイス鉄道の旅1
ジュネーブからツェルマットまではスイス鉄道で移動。スイスは路線密度が世界一と言われるほど鉄道交通が発達していて、大きなトランクを抱えた旅行者でもとても便利に利用できる。駅の構造も階段の他に必ずスロープがあるので、荷物がスムーズに運べるし、改札も無く、ほとんどの列車は予約の必要も無いので、自由に列車に乗れる。(車内の検札は頻繁に回って来る)
私たちが購入したスイスフレキシーパス(Swiss Flexi Pass)は、今回の旅行では大活躍だった。
ジュネーブから急行(InterRegio)に乗ってVispで乗り換え(2時間16分)。Vispからは各駅停車でツェルマットへ(56分)。車窓はスイスの美しい風景が続く。
2008年7月21日 (月)
Aiguille du Midi(エギュイ・デュ・ミディ)
シャモニーの街から出ているロープウェイを乗り継いで最終の到着地点は、Aiguille du MIdi(エギュイ・デュ・ミディ)と呼ばれる展望台(「正午の時計針」の意)。標高は3842m。山麓駅から一気に2800m以上登るので少し目眩がするほど。ゆっくり歩かないとすぐに息切れする。山頂はとても寒く、手がかじかんでカメラが思うように扱えない。しかし、こんな地点からモンブランに向かう人々や、ロッククライミングを楽しむ人がたくさんいる。人間てすごいなあ、と単純に思う。景色はまさしく絶景で、展望台から見下ろすと、氷河の向こうにシャモニーの街が見え、見上げるとモンブランが見える(最後の写真の白い山がモンブラン)。
2008年7月20日 (日)
2008年7月18日 (金)
2008年7月13日 (日)
2008年7月12日 (土)
2008年7月 8日 (火)
2008年7月 7日 (月)
映画「SPEED RACER」
インディ・ジョーンズ、ミラクル7号と、このところ微妙な映画が続いている石原家は、今回の映画選択についても自信は無かった。駄目モト的な気分で六本木ヒルズへ。ヒルズではポニョ(崖の上のポニョ)の完成披露が行われており、知り合いに多く会ったが、ポニョを見に来ている訳ではない我々は逃げ込むように、こっそり6番スクリーンに。この映画のオリジナルは1967年に「マッハGoGoGo」というタイトルでフジテレビで放映されていたTVアニメ。TもNもリアルタイムで見ており歌も唄える。このあり得ない荒唐無稽な自動車レースアニメをウォシャウスキー兄弟が映画化したのが本作。TもNも拍手喝采級に盛り上がったが観客は10人しかいない。なぜだろう?この見たこともない、マトリックスをも超えた映像美、飽きないレース展開、ユーモラスで個性的なキャラクター達、極彩色のめくるめくような3D万華鏡的陶酔、に、なぜ皆は感動しないのか?やっと巡り会った素敵な映画にNは4点、Tも4点で合計8点(そうは言っても好き嫌いがある映画ではある)。Wikipediaによると、原作の吉田竜夫や総監督の笹川ひろしら主要スタッフは運転免許を所持しておらず、自動車やレースについての深い知識がなかった、という。なるほど、万人が喜ぶわかりやすいものづくりには、深い知識が邪魔になる場合があるのだ、ということを思い知らされる逸品である。我々の中で、ウォシャウスキー兄弟は、クエンティン・タランティーノを超えた。
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